2013年2月アーカイブ

筆者が子供の頃住んでいた大阪市内は、市電、バス、トロリーバス等様々な公共交通機関
が道行くところ所狭しとひしめき合っていた。いや、ひょっとしたら市電の廃止とともに
市バスが登場したかもしれない。そのあたりは幼かったゆえ記憶が不確かな部分もある。ともあれその頃、バスに乗って一際目を引いたのが車掌さん。しかも女性であった。いつも車内の中程に陣取っておられ、「次は○○です」「発車オーライ」等、運転手さんと一体になりながらてきぱきと働く姿に、子供心にカッコイイと憧れの気持ちを抱いたものだ。車掌さんは、ガマ口の親分のような黒いカバンをぶら下げていた。中には回数券(確か一枚5円の券面)とおつりが入っているのである。それをガタゴト揺れるバスの車内で売りさばく姿は実に見事であった。まだ「ワンマンバス」が登場する前の時代、バスといえば車掌さんが乗っているのが当たり前であった。最後に車掌さんの乗るバスに乗り合わせたのは筆者の大学生時代。「発車オーライ」の声が車内に響きわたっていたのを懐かしく覚えている。



車を売るなら

ミッシングリンクの謎

ごく最近DNAの研究で、人の祖先は北アフリカに住んでいた一人の女性または男性から枝分かれしていったということが発表され、話題になったのは記憶に新しい。また、直立歩行を始めた前後のヒト(またはサル)の化石も次々に見つかり、いよいよミッシングリンクの謎が解き明かされる日が近づいてきた。だけど、なぜ一部のサルだけが直立歩行を始めたのだろうか?実に興味深い。筆者は学者ではないので、専門的知見に基づいた話はできないが、やはり天変地異やエイリアンの出現が原因ではないかと思う。そういえば、
エイリアンという言葉は、かのシガニー・ウィーバー主演の映画ですっかりおなじみだが、
辞書をめくると、本来は異邦人を意味するらしい。そういえば、かつて空港でそのような表示(Alien)を見かけた記憶がある。間違いではないのだが、なんだか失礼な気がする。まるで幕末の頃、品川沖に現れた黒船に乗るアメリカ人を見て仰天したお侍達と同じではないか。当時なら、異邦人→侵略者→エイリアンと恐怖で震え上がっても不思議ではない。

胸 大きく 方法

保育園時代

娘が保育園時代、実にいろいろなことを学ばせていただいた。当時娘は、何かにつけ発達
が他の子どもより早かった。決して自慢するわけではない。単に誕生日が早かっただけの
事だ。乳幼児期の生まれ月の数ヶ月の差は大きい。娘は、他の子のお世話をするのが大好
きで、2歳の頃にはすでに先生の見よう見まねで同じクラスの子に給食を食べさせていた
りしたそうだ。先生方も実におおらかで、当時の連絡帳を見ると娘の奮闘ぶりを面白おか
しく書き綴って下さっている。保育園の6年間は実にのびのび育った。娘はお転婆で生傷
が絶えず、ヒヤヒヤさせられることも随分あったが、良いところを沢山認めて頂いたおか
げで頼れるお姉さんに成長していったようだ。人生最初のステップが光輝いていた娘。現
在、経営者が変わり当時を知る先生もおられなくなった保育園。だが、今でもそばを通れ
ば、あの頃の優しい先生方とキラキラしていた娘を思い浮かべることが出来る。筆者にと
っても保育園の思い出はいつまでも輝いている。

難聴 治療
健康維持にアルギニンサプリメントが良いといいます。様々なアルギニンサプリメントがありますが、サプリメント選びのコツとはどんなものでしょう。アルギニンサプリメントを選ぶ場合にはまずアルギニンがどのくらい含まれているかを確認しましょう。アルギニンの効果を得るためには2~5グラム以上は1日で摂取する必要があります。サプリメントをどのくらいの量で摂取すれば十分な量のアルギニンを摂ることができるか計算してみましょう。あまり多くのアルギニンが配合されていないサプリメントを使う場合は、1日の摂取量をどうしてもふやすことになります。サプリメントでアルギニンを摂取する場合、アルギニンのpHを調整する添加剤としてクエン酸のような無害な成分が使われているかも大事です。アルギニンはアルカリ度の強い成分で、そのために胃もたれや胸焼けの原因になることがあります。中和されているものであれば安心です。含有量の多い顆粒や粉末のサプリメントを選ぶこともポイントになります。カプセルの場合だと、かなりの量を飲まなければなりませんが、粉末であれば少なくてすみます。ドリンクタイプのものはアルギニンの含有量が少ないのでサプリメントとして摂取する場合にはおすすめできません。体にいい影響があるよう、アルギニンが多く摂取できるサプリメントを選んでください。


美肌を作る方法とは?

IT機器から数々の恩恵を受けた

我々がIT機器から数々の恩恵を受けた事は認める。だが失った事や何処かに置き忘れてしまった事も多いのではないだろうか。一番気になるのは、携帯に夢中になるばかりに、子どもへの注意が疎かになってしまうこと。例えば、駅のホームでの電車待ちや交差点での信号待ちなどで、片手でベビーカーを持ち、もう片方の手で携帯をいじっているお母さんを見かけることがある。子どもも慣れっこになっているのかぐずりもしないが、違和感を感じる。もし何かあったらどうするのかと見ている方がハラハラする。安全面だけではない。子どもは身体も心も日々ぐんぐん成長しているのだ。ほったらかしにせず、しっかり向き合って、声をかけたりして欲しい。この時期にすべき事を怠ると、後からフォローするのは大変だ。携帯では子どもの情緒は育たない。パソコンも然りだ。ネットで繋がる事で孤独な子育てから解放される事はよく分かるが、やりすぎは禁物。必要最低限にとどめよう。そもそも、手がかからない子育てなどないのだから。

水泳 DVD

母が体験した不思議な話

沖縄と言えば実家の母が体験した不思議な話がある。もう20年近く前の事だ。父の定年後、夫婦で旅行するのが趣味になっていた母は、沖縄のとあるホテルで夜中に突然胸苦しさを覚えた。目を開けると、長い髪を振り乱した女性が母の体の上に乗っているのだ。恐ろしくて隣のベッドに寝ている父を起こそうと懸命に叫んだが、声にならず、父も全く気付く様子もなくぐっすり眠りこんでいる。万事休すかと思われたが、却って気持ちが奮い立った母は勇気を出して起き上がり、その女性を部屋の外へ押し出しドアを閉めた。暫くしてドアの隙間から外を伺ったところ、女性はまだそこに座りこんでいたが母の気迫に押されたのか、それっきりになったそうだ。先の大戦では日本で唯一地上戦が行われた沖縄。ひめゆり部隊をはじめ、沢山の女学生が一般市民と共に犠牲になった。母も当時大阪の女学校生で何度も空襲の中をかいくぐり命拾いをしている。ホテルにあらわれた彼女は、母に何か伝えたいことがあったのかも知れない。あの戦争を経験した者同士として。

鉄板マスタートレンド

初めての事務職

初めての事務職での就職が社労士事務所というのは、今にして思えばいささか無謀であったと感じるが、当時の私はそんなことなどお構い無しでいられるほどやる気マンマンであった。って言うか、単に常識がなかっただけの事かも知れない。助成金申請の仕事を任された私は、慣れないながらも、責任感とプライドを持って頑張った。が、次第にとんでもないことになってきた。まず第一に電話の応対が出来ない。相手の言おうとしていることが良くわからず、あわててパニックになってしまう事もたびたびだ。また、私は、一旦自分で立てた予定は崩さずにやり遂げようとする方。これは、プログラミングというのが極めて高い集中力を必要とするため身に付いた習慣であるが、社労士の小さい事務所では、朝一番に決めた予定が他の事情でどんどん変わることなど日常茶飯事。それになかなかついて行けなかった。また、対人マナーが欠如していた為に、所長の使いで行った先で自分の名刺(←事務所でなく)という失敗を犯す。おまけに顧客に説教するなど非常識のオンパレードだった。

ゴルスパ1分バイナリー

テレビっ子始まり始まり!

筆者が最初にテレビを見はじめたのはいつの頃だったのか、定かではない。が、生まれた時既に我が家にテレビが存在していたようだ。時は昭和30年代半ば。それまでお金持ちしか買えない贅沢品であったテレビだが、昭和33年秋に皇太子様(←今の天皇陛下)と美智子様のご成婚が決まるや、爆発的に売れ出したらしい。敗戦から10数年経過していたとはいえ、庶民の生活は貧しく、誰もが娯楽に飢えていた時代。国民から選ばれたプリンセスに皆が熱狂したのもムリはない。しかも当時としては画期的なカラー放送。尤も、カラーで見た人はどれぐらいいたのだろうか?話は戻るが当時まだ筆者が生まれる前、実家は大阪市の南、南海電車が行き交うあたりにあった。大阪の中でも飛び切り下町の風情を漂わせていたところである。そのころ2~3歳だった姉がある日、近所の家に次々とテレビのアンテナが立つのを見て、「ウチだけアンテナが立っていない~!」と父や母に訴える。その一言でほどなくテレビを購入したというのだから、子どもが親に与える影響は絶大だ。

snakefx

麻雀大好き

父がいつ、麻雀を始めたのかはもちろん知らない。母によると、当時住んでいた公務員アパートの階段の踊り場で暇さえあれば近所の人達と毛布をかぶって打っていたそうである。
阪神タイガースをこよなく愛し、ビールはキリンラガーと、一見ごく普通のサラリーマンの父。しかし一方では嫁姑(当時3Kの狭いアパートに祖母を入れて家族5人が暮らしていた)のあつれきやら、職住接近(職場の敷地内に住んでいた)やら、濃密すぎる人間関係(周りに住むのは同じ職場の人たちばかり)と言うストレスフルな環境の中で、健全な精神を保つには、「ちょいと一杯酒場で飲んで」というような、そんじょそこらの気晴らしではダメで、麻雀という毒のきつい魔性の娯楽がそれにふさわしかったのは想像に難くない。亡国の遊戯とも呼ばれる、この中国発祥の頭脳ゲームがいったいいつ海を越えて日本にやってきたのかは知らないが、少なくとも多くの日本人に哲学を与え、人生観を変え、人間関係に自信と潤いをもたらしていたことだけは間違いがない。
億トレ
身内ではないが、知人にも雀士がいる。現在、某大手企業の部長さん。会話の中にしばしば麻雀用語が出てくるのがおかしい。彼は学生時代、麻雀をやりすぎて単位が相当あぶなかったそうだが、真面目で親切な友人にノートを借り辛くもクリアしたそうだ。なお余談ながら、ノートを貸した親切な友人は現在現職の国会議員。まあ、そのころから国民に奉仕する運命にあったのかも。ところで、最近、麻雀を知らない人でも「テンパっている」なんて言われるのを耳にすることがあるが、何だか違和感を感じてしまう。麻雀の世界と実生活の混同は、雀士だけが許された特権。というか、一般人はうかつに入り込めないのが麻雀の世界。そう言えば、京阪丹波橋の線路の広告に健康麻雀教室なるものが出ていたが、これなど麻雀が不健康な遊びであることを認めたも同然。もう笑止千万である。もっと気になるのが、最近の学生。おそらく麻雀なんて知らないだろう。なんとも嘆かわしいではないか。世の雀士のオジサマ方。この現状をどう見る?積む?それとも鳴く?勝負されたい。


マスターズ水泳

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